専攻紹介

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老化に伴う疾患の理解と食による健康長寿社会の実現

生体高分子化学分野 教授

菅瀬 謙治

タンパク質の凝集と疾患およびその予防

 私の研究歴は学生時代の固体NMRの方法論開発から始まります。この研究ではコンピュータ解析だけを行い、ウェットの実験は全くしたことがありませんでした。そのため、生物のことはよく分かっていない学生でした。その後、生理活性ペプチドの構造活性相関、転写因子や酵素などのタンパク質やDNAの動的構造解析を経て、現在の神経変性疾患・血栓症・長期記憶に関わるタンパク質凝集の研究に至りました。このように当初は物理よりの研究でしたが、サントリーで食品や植物に係る研究に携わった経験もあって徐々により生物的な研究、とくに食品由来の成分によって健康寿命を延ばすことを目指した研究にシフトしてきました。この背景には、祖父が生前に脳梗塞を患い左半身不随になったことや、祖母が亡くなる10年くらい前に認知症を発症し、両親が大変そうに介護をしていたのを身近に見ていたことがあります。日本人の平均寿命は世界1位と非常に長く、我々日本人にとって長寿であることはたいへん喜ばしいことです。しかし実際のところ、多くの高齢者は亡くなられる前の約10年間という長期間、何かしらの支援や介護を受けています。この問題は支援や介護を必要とする当人だけのものでなく、その家族・介護福祉士・医療従事者にも大きな負担がかかるため、高齢者だけでなく全ての人にとって明るい健康長寿社会を実現することが望まれています。

 支援や介護が必要となる原因の1位は認知症(神経変性疾患)で2位は脳梗塞(血栓症)になります。私はこの2つの疾患に加えて、自分自身も最近やや衰えを感じる長期記憶を対象として研究を行っています。これらはいずれもタンパク質の凝集が関わります。私はこの研究で、これまでずっと研鑽を積んできた溶液NMR(学生時代は固体NMR)を主に用いています。生命現象はタンパク質や核酸など生体高分子が織りなす現象ですが、それらはいずれも元を辿れば原子レベルのイベントです。そして、溶液NMRは溶液状態の分子を原子レベルで解析できる唯一の装置です。ただし、たいていのタンパク質はNMR試料管の中に静置しておくだけでは凝集しないため、いくらNMRを用いてもタンパク質が凝集するメカニズムを明らかにできません。ここにおいて、私はNMR試料管内の溶液と生体内の溶液の違いについて考えました。様々な違いがありますが、原子レベルのタンパク質の研究ではこれまで研究されていない、血流などの生体内の流れに着目しました。例えば、脳梗塞の原因となる血栓は血流によるタンパク質の構造変化に起因します。また、神経細胞内と同等の流れの力がタンパク質をアミロイド線維化させます。そこで、私はNMR試料管内に流れを発生させるRheo-NMR装置を開発しました。現在までに開発したRheo-NMRを用いて、タンパク質のアミロイド線維化過程を世界で初めて原子レベルかつリアルタイムに観測することなどに成功しました(図)。この装置は製品化もしています。現在は、食品由来の成分によってアミロイド線維化を抑制させる研究も行っています。神経変性疾患は神経が脱落する疾患ですが、神経は一度脱落すると再生しないため、疾患を発症してから治療することは非常に難しいと言えます。そのため、普段の食事によって疾患を予防することが大事であるという考えで研究に取り組んでいます。血栓症と長期記憶の研究も同様な考えで進めており、私はこれらの研究を通じて明るい健康長寿社会の実現に貢献したいと考えています。

図.流れによって形成されるアミロイド線維の模式図

好奇心を持ってチャレンジする

 プロフィールにあるように、私の経歴は京都大学の他の教員方に比べて変わっています。これまで、色々なことに好奇心をもってチャレンジしていたら今のポジションに辿り着きました。元々、学生の頃は大学の教員になりたいとは考えておらず、指導教員である阿久津秀雄 教授の紹介でサントリーの研究所に就職しました。そこでも研究を行っていましたが、2003年〜2006年の米国留学が私にとっての大きな転機となりました。留学先であるPeter Wright教授/Jane Dyson教授の研究室では(写真;二人は夫婦)、特定の立体構造を持たない天然変性タンパク質が、どのように折り畳まれながら標的タンパク質と結合するのかを明らかにするという研究に取り組みました。この研究は、試料調製・NMR測定・データ解析の全てで新しい方法論の開発が必要となる難易度の高いものでした。しかし、ボスの二人は人をエンカレッジするのが非常に上手く、私も乗せられて楽しみながら難しい研究テーマに取り組みました。Wright/Dyson研究室は当時の米国で最も大きいNMRの研究室で、いずれも世界初号機の900 MHz・800 MHz・750 MHzを含む8台のNMR装置がありました。しかし、ポスドクも多かったため、マシンタイムを予約しても回ってくるのが2ヶ月後ということがざらにありました。あるとき夜中の2時にマシンタイムが回ってきましたが、私はその頃にはすでに研究に熱中しており、さらに絶対に成果を出してやるという意気込みもあったため、朝まで待たずにNMR室に向かいました。とは言え、NMR室の蛍光灯はほとんど切れていて真っ暗であったため、外から車のヘッドライトで手元を照らしながら測定を行いました。思い返すとよくやったものだと思いますが、当時はとにかく研究が楽しくて一日中研究のことを考えていました。データ解析に行き詰まっていた時期のある日に、お風呂に入ってリラックスしていたら突然解析のための新しい数式が頭に浮かんだこともありました。このようにして取り組んだ3年間の留学の成果はNatureを含む5報の論文として報告できました。またこのような経験から、研究にせよ仕事にせよ、それに取り組む気持ちが非常に大事であるということを学びました。目的を達成したいという強い気持ちがあれば、傍から見て辛いことでも取り組み続けることができます。例えば、部活動などの厳しい練習でも、どうしても試合に勝ちたいという気持ちがあったから続けられたとか、絶対にこの大学に合格してやるという気持ちがあったから寝不足になりながらも受験勉強に取り組めた、といった経験がある人は多いはずです。私が言いたいのは、情熱を持って取り組める目標を見つけることが大事だということです。ただし、待っているだけではそのような目標はやって来ません。ですから、冒頭でも述べましたが好奇心を持って新しいことにチャレンジすることが大事と思います。

写真.キーストンミーティングの合間にWright教授とDyson教授と行ったスキー

 さて最後に、2022年4月に教授として着任した私自身の抱負について述べたいと思います。まずは留学時にWright教授とDyson教授にしてもらったように、学生たちをエンカレッジすることによって楽しみながら研究に取り組んでもらえるようにしたいと思います。また、物理的にも研究しやすい環境をつくることにも取り組みます。さらに、京都大学の教授という責任を意識し、日本の科学技術の発展にも貢献していきたいと思います。

プロフィール

横浜国立大学工学研究科 博士前期課程修了後、サントリー生物有機科学研究所に研究員として着任。後に同 主席研究員。在籍中に横浜国立大学で博士(工学)を取得。2003年から3年間 米国・スクリプス研究所で博士研究員として働く。2015年より京都大学工学研究科 准教授を経て、2022年より現職。専門は生物物理学と構造生物学。趣味はランニング。